

自分の母校。
鹿児島のかわなべ・・というところにあります大丸小学校(おおまる)です。
ちなみに、おんなじ名前で鹿児島にはだいまる小学校があります。
よく間違われるので、表記してみました。

緑あふれるいい小学校です。
校庭も広く。大きなクスノキと、イチョウの木が特徴的。
広い空。
夏には、ここで夏祭りがあります。
各地域で大きな灯篭を作り、それに子供達が絵を描いて校庭に吊るして飾ります。
そして、一人・一人も灯篭を飾り、先生達で審査して・・金賞・銀賞・銅賞などを決めます。
自分は・・どうだったかな。どれかもらったような気もするけど・・、なにだったかな。
絵はうまくなかったけど・・描くのは好きでした。

自分が通っていたときは、実はすべて木造の校舎でした。
奥に立派な体育館もありますけど、それも木造で自分の頃は「講堂こうどう」と読んでました。
そのときにもけっこう古かったのか、二回の屋根あたりは鳩が巣を作ったりして糞だらけだった思い出があります。
大雨がきたら少し雨漏りしたり・・。
でも、木のぬくもりは子供ながらに心地よかった気がします。
廊下も木造で、掃除はいつも雑巾がけをしていました。
からぶきをしたり。
雑巾を濡らして、友達と競争したり。
校舎が細長くて、一年生から三年生までは一列なので雑巾がけを突っ走れました。たまに、乾いた場所に当たると引っかかってけっ躓いたり。^^
そして、渡り廊下があって、四年生と六年生の廊下が繋がっていて。
奥に、音楽室・図工室・・だったかな。
横に、給食センターの止まるところと用務員室がありました。
いまの子には、用務員なんて分からないでしょうねぇ^^



はい、子供達に紙芝居をしに来たわけなんですが。
これは、10月・・くらいでしょうか。
はじめ、お盆に帰ったときに学校に自分の絵本の「りん君の夢冒険」が置いてもらってることを聞いて御礼もかねてご挨拶に行こうと考えたんです。
そしたら、いまの学校の現状を聞いて・・ぜひ紙芝居をしたいと思ったのです。
なにか、卒業生としてやりたいと!
というのも、今、熱心に聴いてもらってる生徒の写真が写ってますがこの写真の生徒で大丸小学校は全校生徒なのです。
全部で・・15人?くらいでしょうか。
自分がいた時代でさえ、60人ほどでした。減りましたねぇ。
クラス・・というものが存在しないんです。複式学級とかです。自分も何回か経験しました。
3.4年生と5.6年生などが一緒に同じ教室で授業するわけです。
表の黒板で先生が授業して。
「はい、自習・・」と言ってクルッ・・と裏に回って反対の生徒の授業をする。
自習のとき後ろを振り向くと、一年前や一年後の授業が経験できるという優れもの^^
生徒が少なくて、上級生というかふつうの兄ちゃんや姉ちゃんのような・・家族のような感じの学校でしたね。
中学に入って、マンモス校にかわるんですが。

時代の流れというのはかえるのは難しいのかもしれませんね。
田舎の小学校というのは・・やはり無くなる一途をたどるのでしょうか。
でも、形はなくなってしまっても心の中だけでも残していてもらいたい。
大丸小学校の思い出をずっと忘れずにいてほしい。
小学校の思い出というのは、その子のおおきな部分を形成していたりします。
自分の絵本が、ここでの思い出が色濃く出ているように。
だから、ここですごした事を忘れないでいてほしい。
たとえ、卒業してからも二度と帰ってこれないとしても・・。
そんな思いから、卒業式にまた遊びに行って大丸小学校の象徴でもあるクスノキの絵を描いてポストカードにして生徒にプレゼントしました。
離れていても、その絵をみて思い出を蘇らせてくれたらと・・。





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