お疲れ様です。自分の今の仕事が外回りのため、今日とても気になる言葉を目にしてずっと考えていました。
「経典に人の人生が書いてあるのではない。あなたの人生の中に経典があるのです。」という言葉です。
これを読んで自分もまだ勉強している未熟なものですが、それはどうなのだろう?と思ったのです。
「経典」の中には人生のことだけではなくもっと大きなことが書かれている、と自分は思うからです。人の一生とは、仏の言葉が書かれた経典の内容に比べれば一部といっていいかもしれません。
専門的な勉強もしていない一般の人の「人生」の中に大きな「経典」を入れ込んでしまって、用は狭いハコの中に入れて、その中で考えていいのです・・というかのような言葉。
それで経典の中身が分かるでしょうか。
自分の身近なところの部分で考えもらいたいのかもしれませんが、これでは真実を見つけるどころかミスリードされる可能性が高い。
これは、某お寺の浄土真宗の外窓に貼ってあった言葉です。こうしてそれを見た通りの人など、あぁそうなんだ、それでいいんだ・・と思い、それを信じて人は進み、知らず知らずに、迷いの道に踏み入って抜け出られなくなるのだろうなと思ったのです。
これは、書いている人がどうしたら真実にたどり着けるか。経典の真髄は何を言っているのかを勉強してないから、こんな言葉がかけるのです。
そして、人々を迷わせる罪の重さもまた自覚していない。
それは、今の法律では解明して罰することが出来ないことも影響しています。
原発・水銀などと影響力は同じです。体に染み込み、積み重なって形となる。それは、末代までずっとずっと影響を与えます。
宗教には、高低・正・邪があり、それを間違えるととても危ない・・ということを少しずつ皆さんの知識に入れていって欲しいのです。
親としている人、親となる人も、正しい道、正しい教えを模索し、それを子供達に伝えることが下の者たちがより正しい人生を歩めるようになるための責務と思うのです。
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